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若者の心つかむ若手落語家


この演芸場には長い歴史がありまして、場内に伝統芸能の貴重なものがいろいろあるんです。中でも珍しいものは何かって? お客ですよ――というのは昔の話。若手落語家を目当てに、いま寄席に長い行列ができています。笑いの現場を取材しました。

●500円夜寄席、盛況落語家(イラスト)

「噺家(はなしか)になる前は暴走族の総長やってました。母が気が強くてですね、僕が仲間とバイクに乗ってたら、母が車で追いかけてきまして。後ろからパトカーが来て、僕じゃなくておかんがつかまりそうになった。そういう修業をへて噺家になりました」

深夜の東京・新宿、裏通り。「新宿末広亭」で滝川鯉斗(たきがわこいと)さん(33)が満員の客席を沸かせています。土曜午後9時半開演の「深夜寄席」。ワンコイン500円で若手のフレッシュな話芸を見られるとあって、毎週立ち見が出るほどの盛況が続いているのです。たしかに若い観客が多い。

この日、高座に上がったのは「真打ち」昇進前の「二つ目」4人。

トップバッターの笑福亭竹三(しょうふくていちくざ)さん(30)が姿を見せたとき、会ったことがあるような気がしました。それもそのはず。入場前にチケットを売っていた人です。出演者自ら木戸銭を集め、行列を整理し、呼び込みをする。若手落語家の勉強の機会である深夜寄席ならではの距離の近さ、親しみやすさです。

4人がやや緊張しながら次々に演じます。古典落語の「片棒」で鯉斗さんが一瞬、無言になりました。客席の男性が「おい、大丈夫かあ」と声をかけます。客席全体が若手を応援する温かい空気に包まれていました。

「大学では園芸を学んでましてね、今は演芸をやっています」。初めて深夜寄席に出演した古今亭今(ここんていいま)いちさん(28)のギャグに大きな拍手。春風亭昇羊(しゅんぷうていしょうよう)さん(26)も幽霊に恋したネタを生き生きと話しました。

●ライブ感心地よく

テレビのお笑い番組やインターネット動画と違って、やり直しがきかない1回きりのライブ。目の前の落語家が、全力で芸を披露します。

ガールフレンドと来た男子大学生(22)は「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で誰とでもつながれる時代になり、文字のやりとりは増えました。でも、生身のコミュニケーションは不足している。落語は言葉遊びの世界。会話の技術を学びに来ました」と笑顔で話しました。

深夜寄席が終わったのは午後11時過ぎ。公務員の田本信太郎さん(29)は「新宿の一等地なのに500円で1時間半も楽しめる場所なんて他にないですよ。こんなに面白いと思わなかった。また来たい」と声を弾ませました。

●笑いの中に「救い」落語を聞きに来たお客(イラスト)

演芸専門情報誌「東京かわら版」に掲載される落語会の数は10年前から倍増しています。東京都内では2008年に「らくごカフェ」がオープンし、落語を身近に楽しめる場所として大勢のファンが集うようになりました。14年には二つ目専用の寄席「神田連雀亭」がオープン。若手落語家の定例会「渋谷らくご」も人気を集めています。落語会の後、落語家とファンが一緒に打ち上げに行くことも多いといいます。

落語界は階級社会。真打ちの下に二つ目、その下に「前座」がいます。近年は前座として正式に弟子入りする前に「見習い」を体験するケースが増え、さらに見習い以前に「見学者」を受け入れる師匠まで現れました。演者の間口は確実に広がっているのです。

一方、トップ芸人が落語に回帰する動きもあります。笑福亭鶴瓶さん(65)は、分刻みのテレビ番組収録の合間を縫って、若手の落語会に飛び入り出演しています。「高座から10日離れると調子が出なくなる」そうです。

34歳で落語家に転身した二つ目の笑福亭羽光(うこう)さん(44)は「今の世の中、暗いことが多いですが、落語は救いになる」と話します。大学時代は落語研究会に在籍しました。お笑い芸人や漫画原作者として芽が出ず、人生を投げ出したくなったとき、落語が脳裏をよぎりました。長屋に大家さんがいて、みんなが助け合う世界。「落語は弱者に優しい。落語に救われる人は多いと思う。聞いたことない人がふらっときても分かる落語を目指したい」と力を込めます。

落語評論家の広瀬和生さんは「落語は人生の敗者を救う話が多い。まぬけ、落ちこぼれでもいいよ、という価値観で貫かれている。人を排除しない。そんなメッセージが現代の若者の心に刺さるのかもしれない」と分析しています。


毎日新聞生活報道部

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※掲載されている情報は2017年3月時点での情報であり、最新の情報と異なる場合があります。